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【特別緊急支援】ミャンマーサイクロン被害による孤児院の子ども達緊急支援(2008年度)
(対象地域:ミャンマー、ヤンゴン管区)

(特活)地球市民ACTかながわ
伊吾田善行さん(事務局長)
  • -ミャンマーで活動を始めたきっかけは何ですか。

(特活)地球市民ACTかながわ(以下、TPAK)では、2001年からミャンマー東北部のシャン州で支援活動を行っています。シャン州での活動で現地の調整員として協力してくださっているミャンマー人の方から紹介を受け、2005年からヤンゴン管区*にある「タンリエン僧院孤児院」で活動を始めました。
*ミャンマーの行政区分は、「管区」(現地語で「タイン」)と州(現地語で「ピーネー」)に分かれている。

  • - TPAKが支援を開始した当初の「タンリエン僧院孤児院」の状況を教えてください。

周辺地域は土地なし・国籍なしの人が多い貧しい地域

「タンリエン僧院孤児院」は、僧侶のベーダウィ師によって1985年に僧院の敷地内に設立された施設で、孤児が寝泊まりできる施設と、学校にいけない貧困層の子どもたちのための寺子屋があります。首都ヤンゴン市内から南に約40キロ行ったところにあり、土地を持たず、竹で組んで作った狭く質素な家を建設して住む人たちが多く、貧しい地域にあります。この地域の住民の多くは少数民族で、ヤンゴン市内や新港建設地域で日雇い労働をして生計を立てています。



孤児院の子どもたちは劣悪な衛生環境に

この孤児院では、245人の子どもが勉強をしています。このうち、100人が孤児院で生活し、残りは周辺の貧困家庭の子どもです。2005年にTPAKが支援を開始した当初は、子どもたちは目がくぼんでいて、見るからに元気がありませんでした。その時に、日本の医師に同行してもらい健康調査を行ったのですが、結果は「不衛生」「栄養失調」「皮膚病」「感染症」「結核の疑い」と、惨憺たるものでした。300人近い子どもが同じ手桶で手を洗っているのを見た医師が、「万が一、誰かひとりでも赤痢のような感染症を持っていた場合、ふだんから健康状態が悪い子どもたちは亡くなってしまう危険がある」とおっしゃった時は、大変恐ろしく感じました。
このような不衛生な環境の要因は、衛生意識や危機意識の低さ、乾季には水が不足するため流水で手を洗えないことでした。

まず衛生改善が必要と判断

TPAKは本来、教育支援を行う団体ですが、タンリエン僧院孤児院では教育よりも衛生面の改善が喫緊の課題でした。そこで、「教育を受けられる環境をつくること」を当面の目標として活動を開始しました。


  • - 2005年の活動開始から取り組まれたことについて教えてください。

多くの感染症を予防できる「手洗い」の励行

日本の医師や医学生に同行してもらい、現地で健康調査を行った結果を受けて、まずは衛生教育を始めました。具体的には、手洗いや歯磨きの歌などを振り付きで作成し、子どもや先生に教えました。手洗い後にタオルで手を拭いてしまうと、タオルについている「ばい菌」がうつることがあるため、歌の中に「手を乾かす」という内容も含めました。

たかが「手洗い」と思われるかもしれませんが、ユニセフの調査でも、せっけんを使って洗うべき時に正しく手洗いをすることによって、下痢性疾患の約40%、急性呼吸器疾患の約23%を予防できるとされているほど、重要な手段です。そのほかにも、水浴びや爪切りなどが習慣となるように、教育活動を地道に実践していきました。
これらの衛生教育は、現在でも先生方が中心となり、継続して実践されています。

安全な水を確保するために流水施設を設置

健康調査と衛生教育を繰り返し行い、孤児院との信頼関係が徐々に深まってきた2007年、「流水施設設置プロジェクト」に取り組みました。衛生的な手洗いを実践するには流水が必要ですが、この地域は乾期に水が不足し、流水での手洗いは困難でした。

また、給食の食材確保と孤児の職業訓練を目的とした野菜菜園の設置にも水が必要であったため、国道から22本もの電柱を立てて電気を引き、電気ポンプで深さ50メートルの井戸から安全な水を確保したのです。設置に際しては住民もボランティアで作業しました。



  • - 流水施設が完成して数カ月後の2008年5月2日、サイクロンに襲われたということですが、現地ではどのような被害状況でしたか。

ミャンマーの歴史上類を見ない大被害

サイクロン「ナルギス」はミャンマー南部を直撃し、高波と暴風雨によってミャンマー全体で死者14万人、被災者250万人というミャンマーの歴史上類を見ない大きな被害をもたらしました。
私たちがニュースでサイクロンの発生を知ったとき、サイクロンが孤児院のある地域のちょうど真上を通っているのを天気図で見て、全員が亡くなるという最悪の事態を覚悟しました。あらゆる手段で情報を集めようとしましたが、発生8日後まで状況が把握できませんでした。
発生から8日後にようやく孤児院と連絡が取れ、僧侶と先生の的確な指示により、幸いにも死者がひとりも出なかったことがわかりました。
孤児院では、暴風により施設の全9棟のうち6棟がほぼ全壊、3棟が半壊しました。また、2007年に建設したばかりの流水施設も電線が切れるなどして故障しました。被災当日に僧院に手伝いにきていた先生のひとりは、小さなブロック製の寮にいたところ、轟音がして慌てて外に飛び出た直後に、その寮が音を立てて崩れるという体験をしました。私が話を聞いたときにも、「逃げるのが一瞬でも遅ければ、大けがをしていたでしょう。今思い出しただけでも、恐くて震えが止まりません」と振り返りました。
一方、孤児院の周辺地域でも、全家屋が被害を受け(全壊40%、半壊60%)、瓦礫で道路が寸断されるなど、被害状況は深刻でした。

被災直後の支援の状況

ミャンマーが初めて経験した大型サイクロンであったこと、また、広範囲で水没したために、救援活動が遅れ、なかなか被災地に支援が行き渡りませんでした。孤児院のある地域は、被害が大きかったにも関わらず、もっとも被害が深刻だったイラワジ管区から離れていたことと、首都の近くであったため見落とされ、2週間後にTPAKが支援を開始するまで、外部からの支援を受けていませんでした。
一方で、敬虔な仏教徒が多いというお国柄であることもあり、全土から支援物資や救援金が届けられ、休日には各地から国民がグループで訪れ、炊き出しを行うなど、被災直後から民間の支援活動が積極的に行われました。

  • - サイクロン被災後からTPAKはどのような支援活動を行ったのですか。

今井基金の助成で食糧支援と建物修復

大変怖い思いをした子どもたちのため、できるだけ早く日常の状態に戻すことに専念しました。子どもたちにとっての「日常」とは、「朝起きて、勉強をし、給食を食べる」ということです。今井基金から助成金を受けることができたので、被災後3カ月間の食糧支援と半壊した寮兼教室の修復を行いました。
寮兼教室として使用していた建物では、暴風雨により屋根と支柱が壊れました。このため、サイクロン前よりも頑丈な屋根材を使用し、より強固に補修を行いました。この支援によって、子どもたちは安心して寝泊りや勉強をできるようになりました。

苦労した食糧調達

「被災地で食糧配布支援を行うと混乱する」と言われることが多いですが、私たちの場合は、僧院が中心になって調整したので、混乱なく被災民に食糧を配布できました。またミャンマーでは、お寺が各檀家の経済状況などを把握しているため、貧しい家庭に優先的に配布することができました。2005年からの活動で築いてきた僧院や村人との信頼関係があったからこそ、スムーズに支援することができました。
ただ、被災直後は、ヤンゴン市内で商店などが浸水したり、一部市民による買い占めで、食糧と物資が不足し、食糧調達には大変苦労しました。僧侶や檀家が東奔西走し、なんとか必要な量を確保できました。
食糧支援を行ったのは被災後3カ月間ですが、それ以降は、僧院の檀家がヤンゴン市内などで資金調達をして賄いました。

そのほかの支援活動

気候変動により同様のサイクロンがミャンマーで発生する可能性があると科学的に分析されています。そこで、僧院や檀家と相談し、日本国内のイベントや募金活動で集めた資金や、助成金などで、サイクロンに耐えうる強固なシェルターの建設を行いました(2009年完成)。再びサイクロンが発生しても安全に避難できるシェルター機能を備えた子ども達の寮が完成したことで、ようやく子どもたちにも笑顔が戻りました。

TPAKの支援を受けた村人の反応

先ほどお話ししたように、僧院の周辺地域はTPAKが支援活動を開始するまで、支援を受けておらず、多くの住民がこれからどうやって生活を立て直していけばよいのか、途方に暮れていました。ある村人は、日本から支援を受けたと聞いて、「現在は困難で絶望の中にいますが、遠いところで自分たちを支えてくれる人がいることを聞いて、勇気が湧いてきました。どうか私たちのことを忘れないでください」と話しました。

  • - サイクロンから3年が経過した現在の活動について教えてください。

現在では、サイクロンの傷跡は癒え、被災前の日常に戻っています。サイクロンによって故障した流水施設も修復され、現在では孤児院だけではなく地域の人々にも農業用水や飲み水として利用されています。また、2011年3月には浄水器を設置し、子どもが安全な水を飲めるようになりました。
これらの活動によって、子どもの衛生状況が改善されてきたため、今後は教育活動にも力を入れていきたいと思います。

  • - どうもありがとうございました。