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ネパールの無医村への鍼灸ヘルスキャンプ(2000年度)
無医村への鍼灸によるヘルスキャンプの実施(2003年度)
ネパールにおける鍼灸治療による診療所の運営ならびに灸治療に使用する『もぐさ』の製造(2004年度)

ティテパティ よもぎの会 畑美奈栄氏(会長)/ 木下廣太郎氏(事務局長)
  • - 活動を始めた頃、ネパールの医療はどんな状況だったのですか?

ネパールのほとんどの村が無医村です。あったとしても、ヘルス・ポストと言われる診療所で、そこには医者も看護婦もおらず、医学部で2年ほど勉強した人が看護助手として常駐しているだけでした。したがって、治療といっても簡単な傷の手当てや薬の支給程度のことしかできません。

私(畑)がネパールに入ってネパール赤十字の協力を得て1993年に東洋 医学の専門学校を作るまでは、ネパールに東洋医学の学校とか養成所は一切ありませんでした。わずかにあった東洋医学らしきものは、チベット医学です。ごく 限られた一部のチベット人居住区で1人か2人を治療しているお坊さんがいました。また、ネパール人で、中国に行って鍼灸の資格をとって戻ってきて、鍼灸をやっている医者は当時2〜3人ほどいました。今からもう20数年前のことです。でも、ネパールには資格制度もなく、勉強したという人は全くいませんでし た。

  • - ティテパティよもぎの会がネパールで鍼灸を始めたきっかけは何ですか?

私がネパールで鍼灸学校を作ろうと思ったきっかけとなったのは、1984年のインド旅行です。途中でビザ更新のために渡ったネパールで、山あいの村を散歩していると、明らかに病気で熱のある子どもを背負った母親が近づいてきて、薬が欲しいと必死に訴えるのです。でも、そのとき薬を持ち合わせていなかった私は、何にもしてあげることができませんでした。

その子どもの熱に浮かされた顔がまぶたに焼きついて、宿に帰ってから、気になって寝られませんでした。その後戻ったインドのラダックで、私は高山病にかかってしまいました。そのときたまたま同じホテルに泊まっていた日本人の鍼灸師に出会って、手当てをしてもらったら、体がすごく楽になったのです。そして、その鍼灸師の方にネパールで会った子どもと母親の話をしました。

「こういう技術があったら、薬がなくても子どもは助けられたのに。鍼灸はこういう所にこそ必要ですよね」と。そしたら、その方が「それなら、あなたが資格を取って普及したらどうですか」とおっしゃったのです。それで、旅を途中で辞めて日本に帰って鍼灸師を目指したのです。そのとき私は45歳でした。

  • - 今井基金からどのような支援を受けたのですか?

1993年2月にカトマンドゥに開校した東洋医学専門学校を、1997年にネパール赤十字に完全に引き渡しました。このとき、鍼灸はまだ東洋医学専門学校の治療院に来たごく一部の人にしか知られていなかったので、大都会だけでなく地方にも普及した方がいいのではないかと思い、卒業生と共にカトマンズ郊外の無医村の村々を巡回し始めました。

このヘルスキャンプは1998年に始まり、2004年まで計70回実施されました。キャンプをすること自体は無料ですが、ボランティアを含めると、スタッフは約60人になり、彼らが村まで行く交通 費、食費、ごくわずかですが日当を支払わなければならず、費用が非常にかかります。

そこで、その資金助成を今井基金に申請して、2000年と2003年に支援していただきました。また、2004年度は、日本大使館からの援助によって建設された「クリニック兼もぐさ工場」でかかる現地スタッフの人件費を助成 してもらいました。

  • - この事業の目的は何ですか?

東洋医学(鍼灸・あんま・指圧等)が全くない国だったので、それを普及させることが最終目的です。鍼灸を広めるためには、こちらが地方に出掛けていくしか方法がないので、ヘルスキャンプを始めました。

ただ、資金に限りがあり、スタッフを長い間拘束することができないので、それほど遠いところまで行けません。それに、スタッフの半数以上が女性ですが、ネパールでは、特に女性の場合、泊りがけで他の男性も一緒にどこかに出掛けるということは絶対あり得ない話です。全責任は私が持つので、1週間お嬢さんを預からせてくださいと親に頼んで来てもらいました。ヘルスキャンプのおかげで、今ではだいぶ鍼灸が広がりました。ネパールのテレビや新聞が伝えてくれますから、随分遠くから人が訪ねてきたり、問い合わせがあったりします。

  • - これまでに大変なことはありましたか?

いっぱいありました。ヘルスキャンプを開催しようと村に行っても、その村がマオイストによって支配されていて、「昨晩、あの前の家が襲撃されて丸焼けになっているから今日は開催しない方がいい」という現地の人たちの助言で中止せざるを得なくなったり、ネパール・バンダという交通ストライキで道路が封鎖されてしまい、全く身動きできない状態になって村に到達できないということも何度もありました。

また、道路封鎖があると、スタッフ が揃わず、結局1週間のうち4日しかキャンプを開催できないこともありました。そのようなことが頻発する状態が、2年ぐらい続きました。現在は、やや平静になっています。他には、雨で道路が崩れて、目的としている村に行けないこともあります。

  • - 現地の人たちの中から、ボランティアとして参加してくれる人たちもいるそうですね。

先ほども話したように、ヘルスキャンプを開催する毎に、約30名近くのボランティアの方が参加して手伝ってくれます。開催する村の青年クラブとか、他には ロータリークラブやライオンズクラブなども協力してくれ、会場の準備や現地のボランティア集めなどを進めてくれます。ボランティアは、女性の割合の方が断然多いのが特徴です。やはり女性の方が患者さんに対して細やかな心遣いやケアができますし、鍼とかお灸は必ず裸にならないとできませんので、服を脱がせるお手伝いをするときは、患者さんも女性の方が抵抗なく脱いでくれます。

  • - 鍼灸の普及活動に対する現地の人たちの反応はどうですか?

ヘルスキャンプを開催すると、1日目に来て治療を受けた人が、自分の体の痛かったところがすぐに良くなったということで、家に帰って周りの人にそれを伝え ます。それがその日のうちに近くの村に伝わって、翌朝には噂を聞きつけた人たちが押しかけてきます。
ですから、1週間開催されるヘルスキャンプの最後の日には、収拾がつかないくらい人が増えてしまいます。多いときには1週間で2,600人にもなりました。鍼灸は、薬を全く必要とせず、お金をそれほどかけな いで、暖めたり鍼で刺激を与えたりすることで、みるみる良くなり、またその後、再発しないケースが多くあるので、その効果が口コミで広がるのだと思います。

もぐさ工場も作りましたが、これは村人の収入向上につながっています。都会に働きに行っても、1ヶ月でやっと3,000ルピー(約5,000円)しか稼げ ませんが、100キロのもぐさを集め、工場に持ってくれば、2,000ルピー(約3,500円)を稼ぐことができます(1ヶ月のもぐさの収穫量は多くて約160〜170キロ)。

  • - この事業を通じて、ネパール人の優秀な人材は育ちましたか?

ヘルスキャンプも、クリニック兼もぐさ工場も、スタッフのほとんどが私の教え子です。これまで私が育てた鍼灸師は50人以上になります。その中でも、特に、第1期生のイスワル・バラミは、非常に優秀です。今では、1993年に開校した東洋医学の専門学校で授業を受け持つほどで、よもぎの会カトマンズ支部の責任者、また、クリニックの責任者にもなっています。また、自分でもクリニックを持つようになりました。彼は、もぐさ作りの習得のために、日本に5回派遣されています。もぐさ作りに関しては、いまや彼の右に出る人はいません。

他の教え子たちも、私や彼のもとで鍼灸治療を始め、もぐさ作りに関する技術を身につけ、日本人では彼らの足元に及ばないくらいのレベルとなっています。この教え子たちが、各地で人々の治療にあたり、ネパールでの鍼灸の普及に貢献しています。

  • - どうもありがとうございました。