タイに居住するビルマ人難民に対する人権・民主主義に関する教育支援(2010-12年度)
事務局長 伊藤和子さん
- -ミャンマー(以下、ビルマ人)からの難民が多く居住するタイのターク県メーソットで、ビルマ人を対象とした人権教育の支援を始めたきっかけを教えてください。
(特活)ヒューマンライツ・ナウ(以下、HRN)は、2006年に発足*した国際人権NGOです。設立以来、主にアジア地域での人権分野の国際協力・国際貢献活動、国連など国際社会の場における人権活動、そして国内での国際人権基準の啓発・実現のための活動を行ってきました。
「『人権』を知らない少数民族の方々に教育を」という思いに共感
ビルマからの移民・難民が多く居住するタイのターク県メーソットに、ビルマ人を対象に人権・民主主義を教える教育施設があることを知ったのは、2007年のことでした。日本で開催されたアジア地域の人権問題に関するシンポジウムで、メーソットで活動するビルマ人弁護士グループ「ビルマ法律家協会」の方とお会いしたことがきっかけです。ビルマ法律家協会は、前年の2006年3月に、人権保障・民主主義の次世代の担い手・法律家を育成するために、メーソットで「ピース・ロー・アカデミー」(以下、PLA)を設立したばかりでした。シンポジウムでの発表から、ビルマの少数民族の方々がひどい人権状況に置かれていることを知った私たちは、来日していたビルマ法律家協会の事務局長に、「(HRNとして)どのような支援ができるだろうか」と尋ねてみました。その方は「モノの支援よりも、教育が大切だ。少数民族の人たちは『自分たちには人権がある』ということを知らないため、迫害されても身を守るすべを持たない。そういう状況を変えて、人々に力を与えたい。そのためにPLAを設立したんだ」と答えました。
この出会いをきっかけに、HRNとしてどのような支援ができるか模索を始めました。2007年9月には初めてPLAを訪問し、ビルマから学びに来ている学生とも話をし、「この方々を支援したい」と強く思いました。その後、PLAが資金面で課題を抱え、2008年3月にいったん活動が休止となりました。その間、日本でもファンドレイズを行い、2009年4月から学校が再開され、HRNも本格的に支援を開始しました。
*特定非営利活動法人格を2008年に取得。
- -支援活動を始められた当時のビルマの状況を教えてください。
深刻な人権状況:「人権」「民主化」という言葉だけで政治犯に
2007年9月に初めてPLAを訪問した当時、ビルマ国内では仏僧を中心とした民主化運動(サフラン革命)が行われていました。この運動は、急激に物価が高騰したことを背景に、軍事政権に経済政策の改善と民主化の促進を求めて仏僧がパゴダ(寺院)からパゴダまで歩く、という非常に平和的なデモでした。仏教国であるビルマでは、仏僧は尊敬を集める存在であるため、市民からは「軍事政権も簡単には弾圧できないだろう」という大きな期待が寄せられていました。しかし、結果的には軍事政権によって非常に残虐な弾圧が行われました。当時、ビルマ国内は「人権」「民主化」といった言葉を発しただけで逮捕・投獄されるような状況で、政治犯として2,000人以上が収容所に入れられていました。
- -2009年から支援を始められたPLAについて教えてください。
ビルマ人の若者が「人権・民主主義」を学べる学校
PLAは、ビルマの若者が人権・民主主義を学ぶための教育機関で、ビルマからの移民・難民が多く居住するタイのターク県メーソットに位置しています。2年制の寄宿舎学校で、ビルマ全土からさまざまな民族の青少年が学びに訪れています。現在、ビルマには少数民族が百数十あると言われていますが、PLAで学習しているのは、そのうち十くらいの民族です。
学生の募集にあたっては、ビルマ国内に呼びかけ、応募を受けて選考を行います。主要な少数民族の民族団体に声をかけたり、協会のネットワークを通じて学生を募集しています。
初めて学ぶ「人権」の概念
PLAでは年間25名前後の学生を受け入れます。授業では、人権や民主主義の概念、人々が平等であること、女性にも人権があること、など非常に基本的なところから学び始めます。
まず、3か月ほどかけてビルマの法律や法による支配、人権についての世界的な潮流、英語、政治・社会の仕組みなどについて学びます。その次に、「世界人権宣言」という、すべての国で実現されなければならない人権の基本的な基準を学びます。「世界人権宣言」について理解することで、ビルマ国内で否定されていることが、世界水準では権利として保証されていることで、要求していくべきことだと気付くようになります。その後、「異なるふたつの人権が対立したときに、どちらを優先するのか」というような応用的な内容を学ぶようになります。
- -2010年度から12年度までの3年間で、今井基金の助成を受けて行った活動について教えてください。
日本人を現地に派遣、国際法や日米憲法について教授
PLAではメーソットに居住するビルマ人法律家が主に教鞭をとりますが、今井基金からの助成金では、日本から弁護士を定期的に1〜2週間派遣し、教育の充実を図りました。昨年度には、HRNの米国人スタッフを長期間派遣し、特に国際人権法の分野で学習を強化しました。 PLAでは、ビルマ国内の法律(憲法、民法、刑法など)と国際法を半々の割合で教えており、ビルマ国内の法律のカリキュラムはビルマ人法律家が中心となって作成しますが、国際法のカリキュラムはHRNも積極的に作成に関わり、カリキュラムの内容に合わせて日本からの派遣時期を決定しました。
国際法だけでなく、日本や米国の憲法に詳しい日本人弁護士を現地に派遣し、ビルマ以外の国の憲法についても教えています。ビルマ以外の国の制度・法律を知ることで、相対的な目を養うことができればよいと考えました。
例えば、日本では移動の自由は当たり前のものとして保障されていますが、ビルマでは国内の各所に軍によるチェックポイントのようなものが置かれていて、自由に移動することはできません。海外の制度や法律を学ぶことで、「自由に移動ができない」というのは当たり前のことではない、ということに気づくのです。
- -2年間の学習を経て、あらわれる変化とは。
理不尽なことに遭っても「人権が侵害されている」と考えられることが第一歩
とくに軍事政権の頃には、「人権」と言葉を発するだけで逮捕されるような状況でしたので、ビルマ国内で人権を実現していくことは非常に難しいと感じていました。「ビルマ国内に帰ってもせっかく学んだ人権を主張することができない」というのは、PLAの学生にとっても大きな壁であっただろうと思います。ただ、まず人権という概念を知ることで、学生たちは理不尽なことに遭っても「人権が侵害されている」と考えられるようになり、そのことによって大きな力を得ることができるのだと思います。軍政による人権侵害は地域の全員ではなく、特定の個人が弾圧の対象として狙われることが少なくありません。それに対して、地域の全員が強く反対すると、弾圧する側は、周囲を取り巻く者全員に対して弾圧をするわけにもいかず、弾圧をあきらめざるをえないという状況になることもあります。まず学生が人権を学び、その学びをコミュニティ全体で共有することによって、状況は大きく変わるのではないかと思います。
「人権」という概念のそれぞれの受け止め方
PLAでの学習の中で、これまで当たり前だと思っていたことが、実は人権侵害だったと気づくと、「変だと思っていたけれど、やっぱりおかしかったんだ」と納得する学生もいますし、これまで人権を侵害されてきたことに怒りを持つ学生もいます。いろいろな反応がありますが、みんな「これまで当たり前だと思っていたことが、実は人権侵害だったと知ることができて良かった。ここで学んだことはとても大切なことだから、早く地元に戻ってみんなに伝えたい」と話します。
なかなか発言できなかった女子生徒が、意見を表明できるように
PLAには「学生の3割以上を女性にする」というルールがありますが、あるとき「男子のほうが優秀なのに、3割以上を女性にするというルールがあるせいで、優秀な男子学生がPLAに入学できないのは、逆差別ではないか」という発言をした男子生徒の発言に対し、反論した女子生徒の言葉がとても印象的でした。「先生もご存知の通り、私たちは授業の中で、男子生徒のように自分の意見を堂々と言うことができない。なぜ私たちが授業で発言できないのかというと、私たちはこれまでずっと『(女子は)勉強をする必要がない』と言われてきた、生まれた時からずっと自分に自信が持てないような生活の積み重ねがあったからだ。そういう私たちでもこういう大きなチャンスを得て、これから周りの人にこの学びを広げていくことができる。国に戻って周りの女性たちを励ますこともできる。だから、この3割(以上を女性にするというルール)はとても大切だ。」
これは2年目の出来事でした。確かに、それまで授業のディスカッションでも女子生徒はほとんど発言できていませんでしたが、この時の女子学生たちの真剣な訴えには心から感動しました。2年間の学習の中で、徐々に鍛えられ、自分の意見を表明できるようになったのだと思います。
共同生活を通じて異なる民族への不信感を払しょく
先ほど述べたように、PLAでは寄宿舎で異なる複数の民族が共同生活を送ります。紛争などによって他民族に対する不信感を植え付けられている人たちもいますが、共同生活を送る中でその不信感を乗り越え、友人関係を構築することができました。
PLAの学生は、それぞれの民族団体から推薦された若者が多く、将来はその民族団体をリーダーとして引っ張っていく存在です。そんな彼らが「私たちがリーダーになったら、紛争をやめる」と話すのを聞き、PLAでの共同生活が将来の平和にもたらす意味はとても大きいと感じました。
- -PLAの卒業生のその後を教えてください。
地域のリーダー、弁護士、海外留学、難民キャンプ裁判官など進路は様々
卒業生の進路は様々です。地元に戻り、リーダーとなっている卒業生も多く、なかには村長などから請われて、人権や憲法についての勉強会などを開き、200人もの住民が参加したということも聞きました。このように、PLAで学習したことを地域で共有する活動は各地で行われているようです。このほか、ビルマ国内で弁護士になった人や、女性団体のリーダーをしている人、勉強のために海外に留学した人もいます。難民キャンプの裁判所の裁判官になった卒業生もいました。PLAの卒業生は、難民の中で唯一法律を学んだ人でもあるので、卒業後すぐに裁判官として活躍しているようです。PLAでの教育に対する信頼が厚いということでもあるので、教育する側としては責任の重さを感じます。
卒業生が集まってネットワーク団体の設立を準備
現在は、ビルマ国内に戻った卒業生たちが集まって、ネットワーク団体をつくるという構想があります。卒業生たちは、これからのビルマの人権・民主化に貢献したいという強い気持ちを持っていて、人権のトレーニングをあちこちで行っていきたいそうです。これからも、卒業生たちとの連携は続けていく予定です。
- -今井基金が支援した2010年度から12年度までの3年間で、ビルマの政治状況は大きく変わったと思いますが、それによる変化はありましたか。
ビルマの民主化の動きによって、主体的な問題解決を考えられるように
2010年度は当時2年生の学生(2011年3月卒業)を支援し、2011年度からは、2011年4月に入学した学生(2013年3月卒業)を支援しました。2011年3月に卒業した学生は、学習当時ビルマの政治状況が良くなかったことから、「勉強したことを今後にどう生かせるのかわからない」という悩みを抱えていました。一方、2011年4月に入学した学生は、ビルマが民主化に向かいつつある状況の中で学習を進めることとなったので、「帰国したらPLAで得た知識をビルマの民主化に役立てたい」というモチベーションを持つことができました。
学習面では、「人権侵害があったらどのように対応するか」を考える授業で、それまでは「国連に働きかける」など外部に頼る考え方が多かったのが、民主化の動きが出てからは「地元でどのような活動ができるのか」という主体的な考えが生まれてきました。
- - 活動を行う上で、課題となったことはありましたか。
ビルマの治安が悪化したり、それによって(PLAがある)メーソットにも流れ弾が飛んでくるようなことが、数度ありました。
PLAで学ぶ学生は、中学校卒業レベルから大学卒業者・留学経験者までおり、教育レベルが様々ですが、それによる大きな課題はありませんでした。授業では、英語での講義とビルマ語でのディスカッションを行い、講義の理解が不十分な学生には、ディスカッションの間に理解ができた学生が補足するというやりとりがなされていました。先生方も「全ての学生に理解してほしい」という考えで、授業時間外の質問などにも積極的に対応されていました。
- - 現地で教鞭をとられた日本の弁護士の方々には、どのような気づきがありましたか。
例えば「世界人権宣言」など、これまで当たり前だと思っていたことが、ビルマの学生にとっては当たり前ではなく、知ることで感動すら覚えていることに、私たち日本の弁護士たちも感銘を受けました。
日本では人権は「知識」として学ぶものですが、ビルマでは「生きるために不可欠」で、自分たちの状況を変えていくためにどうしても必要だと考えているので、学ぶ意識もモチベーションが非常に高く、教えがいもありました。本当に絶望的な状況のなかでも明るさを忘れず、祖国のために一生懸命勉強する学生のひたむきさに、私たちが学ぶことも多かったです。
- - 今後、どのように活動を展開したいとお考えですか。
2013年3月に学生が卒業してから現在まで、PLAでは学生を受け入れていません。ビルマの国内や(タイのビルマ人難民キャンプがある)メーソットの状況も変わってきているので、国内で人権・民主化についての教育活動を行うことも視野に、今後の展開を検討しているところです。
PLAで実施してきた2年間の教育プログラムをそのまますぐにビルマ国内に持ち込むことは難しいかもしれませんが、小さなトレーニングやセミナーといった形で教育活動を重ねていくことは可能だと思います。
アドボカシーの面でも、ビルマに新しく発足した人権委員会などと連携して、実際の変化を促すような訴えかけを行っていきたいと考えています。
- - どうもありがとうございました。