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ウォールアートフェスティバル2012・2013(2011-12年度)

特定非営利活動法人ウォールアートプロジェクト
理事長 おおくにあきこさん、現地コーディネーター 浜尾和徳さん
  • -インドの学校の壁に壁画を制作して公開する芸術祭「ウォールアートフェスティバル」の活動をはじめられたきっかけを教えてください。

PTAをきっかけにインドとの交流を開始

ブッダガヤの村のようす

おおくにさん:
私たちは、2010年から、インドで「ウォールアートフェスティバル」の活動を始めました。学校の白い壁に、芸術家と子どもによる壁画を制作し、それを一般公開するという、学校の子どもと地域の人びとを巻き込んだ芸術活動です。
きっかけは、2006年に日本の学生50人がアルバイト代(約800万円)を貯めて、最貧困州のひとつビハール州(インド北東部)のブッダガヤというところで、学校の校舎を建設したことから始まります。その後、建設支援に関わった学生たちが、建設後の活動がより重要であるということに気付き、学校に通う子どもとの交流活動などを続けていました。
その頃、私は偶然その学生たちの活動を知り、息子が通う小学校のPTA活動の中で、インドの子どもと日本の子どものお手紙交換の活動を始めることになりました(2007年)。一方、現地コーディネーターをつとめている浜尾は、校舎建設に関わった学生たちの団体の2代目代表と友人であったことから、彼らと関わりを持ち始めました。
息子の学校のPTAでのお手紙交換活動は3年間続き、その間に現地を訪問するなどして、関係を深めていきました。PTAでの活動が終わった後も、個人として関わりを続けたいと考え、現地や日本の仲間たちと話し合って始めたのが「ウォールアートフェスティバル」でした。「アート」という手段を考えたのは、単純に私自身アートが好きだというのもありますし、(モノやお金の支援とは違う)「押し付けない何か」をしたいと思ったからです。

大学卒業後に移り住んだインド
浜尾さん:
おおくにと出会った当時、僕はまだ学生で、教員を目指していましたが、その前にどこか海外で生活したいと思い、その学校を建設したグループの友人と一緒にインドを訪れ、気に入ってしまいインドで生活し始めました。
村に日本人が少ないこともあってインド人からよく声をかけてもらい、仲良くなっていきました。ある時、インド人の友人とチャイを飲んでいると「今年は農作物の出来がよくないんだ。日本円で1万円くらいあれば農薬を散布する機械が買える。みんなで機械を共有して修理代を出し合えば、みんなが助かる。水はけがよくないから、灌がい設備を作るためのポンプも欲しい」という相談をされました。確かに、1万円は日本では大きな金額ではないですが、もしお金を渡してしまうと、友人関係が崩れてしまうのではないかと悩みました。彼自身や他の人も金額を負担する考えだったので、その時はお金を寄付したのですが、それ以降はお茶に誘われるたびに「もしかしてまた支援の話かも」と思ってしまったり、他の人とも話しているときにそういった雰囲気を感じるようになってしまいました。もちろん、寄付によって助けられる方々がいることも知っていますが、僕が望む関係性は違う、と感じていました。
そのようなときに、日本では、学校を建設した学生たちや、おおくにが、上記ブッダガヤの学校の白い壁を使った芸術祭の開催を検討していると聞き、村人と一緒に何かをつくるという考えにとても惹かれました。日本人とインド人が共に取り組むことによって、お互いに切磋琢磨して能力を伸ばしていくことができるのではないか、と考えたのです。そして、僕にできることは、現地に住んで、村人と実行委員会を組織し、準備を進めていくことだと思い、現地コーディネーターに立候補しました。


  • -学校や村にウォールアートフェスティバルのアイデアを伝えた時、どのような反応でしたか?

「芸術祭?」わからないなりにも、前向きな反応

WAF2012での村人のようす

浜尾さん:
「芸術祭…?よくわからないけど、おもしろそうだね」といった反応でした。上記ブッダガヤの学校では特に芸術関連の授業はなく、土曜日の午前中に先生の裁量で絵画、工作、音楽、体育などをする時間があります。芸術を専門に教える先生もいませんし、絵といえば宗教画のイメージが強いので、「アート」と聞いてもよくわからなかったのではないでしょうか。特に、フェスティバルで制作したコンテンポラリー・アート(現代美術)については、やるまでイメージできていなかったと思います。
前向きな反応は多かったのですが、「(芸術祭よりも)学校を建設してほしい」という要請を受けたことはありました。その時は「僕たちがやりたいことは校舎の建設ではなくて、子どもの内面に変化をもたらすことなんだ」と話すと、納得してくれました。
学校の先生たちは、アートが子どもにもたらす効果や、日本人が村に来て子どもと交流することの価値などを十分に理解してくれました。また、先生たちは、学校に行っていない子どもたちに、学校に通うよう説得してもあまり効果がないという実感を持っていたので、芸術祭が学校に足を運ぶきっかけになるのではないか、という僕の呼びかけにも賛同してくれました。そして、先生たちが村人への説得にも力を貸してくれました。

  • -当時の学校周辺の地域の状況を教えてください。

浜尾さん:
学校に通っている子どもは、半数以下だったと思います。小学校までは男女で差はあまりないのですが、中学・高校になると、女生徒の数は少なくなります。学校に通わない子どもは、農作業や家畜の放牧の手伝いをし、とくに女子がそのような仕事をしています。しかし女性であっても、教育を受けていなければ結婚相手が見つかりにくいという状況もあるようで、「読み書きだけはできるように」と学校に通わせる家庭もあります。6〜7学年までは学校に通う子どもが多いようです(上記ブッダガヤの学校は7学年まで)。


  • -「ウォールアートフェスティバル」の準備はどのように行われているのでしょうか。

浜尾さん:
 インドでは、実行委員会を立ち上げて現地の受け入れ態勢を整え、近隣の学校やメディアに広報をしたり、インドの企業・団体をまわってファンドレイズにトライしています。始めた当時は、僕自身が現地の大学院に通っていたこともあり、同じ大学のインド人学生にボランティアで関わってもらい、それぞれが担当を持ち、分担して準備を進めました。

「誰も知らない村」での国際的なアートフェスティバルの実現のため
世界で活躍するアーティストに熱烈アプローチ

学校の壁に制作されたアート(WAF2012)

おおくにさん:
日本側では、インドに来て制作してくれるアーティストの方を見つけることが重要でした。当初から、「『インドの誰も知らない村』で、『誰も知らないアート』が展開されてもつまらない。『インドの誰も知らない村』で、『国際的なアーティストが制作する』というギャップが面白いはず」と考え、@学校の壁に合う作風、A子どもに見せたい作品という視点で、参加してもらいたいアーティストを探し始めました。
最初にアプローチをしたのは、日本で展覧会を開かれていたインド人アーティスト(N.S.ハルシャ氏)で、飛び込みでメールを送りました。その時は予定が合わず、1回目のフェスティバルでは参加されなかったのですが「また連絡してください」と返信をくれ、2回目のフェスティバルには参加してもらえました。
そのほかにも、「アートのない世界の最初のアートとして、わかりやすいけれども子どもっぽくないもの」といった視点で気になる方を見つけてはアプローチしました。
1回目のウォールアートフェスティバル(2010年)には、インド人と日本人のアーティストがそれぞれ1人ずつ参加してくれました(インド:スジャータ・ロイ氏、日本:淺井裕介氏)。


  • -今井基金からの助成で行った活動について、教えてください。

2013年からは先住民族の暮らす村へ開催地を変更

ガンジャード村でのWAF

おおくにさん:
今井基金からは、2年間ご支援をいただきました。1年目(2011年度)は、ブッダガヤの学校(インド北東部ビハール州)で3回目のウォールアートフェスティバル(2012年2月開催)を、2年目(12年度)には、先住民族ワルリ族が暮らすガンジャード村(インド西部マハラーシュトラ州)で初めてのウォールアートフェスティバル(2013年2月開催)を開催しました。
2年目の開催地ガンジャード村は、より困難な教育環境に置かれているとともに、先住民族の伝統的な暮らしが失われつつある地域でもあります。そこで、あらかじめ、ブッダガヤでのフェスティバルにワルリ族の伝統壁画家(ラジェーシュ・チャイテャ・バンガード氏)を招き、どのような芸術祭であるかを理解してもらい、ガンジャード村でのフェスティバルでは、彼に招聘アーティストであると共に実行委員長になってもらう形で取り組みました。ラジェーシュ氏は、作品を描く中で、このプロジェクトの趣旨を理解し、賛同してくれて、ワルリ族の暮らしに光をあてるきっかけとすることに成功しました。

空白の1年を経て、ブッダガヤの学校は
浜尾さん:
2012年2月を最後に、ブッダガヤの学校を離れ、2013年2月からマハラーシュトラ州で新しく活動を始めたひとつの理由は、3年間の活動を続けた中で、現地の人々に「来年も来てほしい」という受け身の姿勢が定着しつつあったことが挙げられます。10年に最初のフェスティバルを行った時から、「いずれは現地に活動を委譲し、違う場所へ移る」ということを考えていました。確かに、回を重ねるごとに、実行委員会の運営や担当割などは現地が主体的に行うようになったのですが、フェスティバル後の反省会では「今回も成功したね。来年も頼むよ」といった発言がみられ、僕たちが関わる限り、現地が全てを主体的に行うことは難しいのかと思いました。そこで、開催地の変更に踏み切ったのです。
その後、2013年になってから、学校の壁を白い壁に戻すために改めてブッダガヤの学校を訪問しました。その時、フェスティバルでずっとアーティストの手伝いをしてくれていた少年が、「ワルリでのフェスティバルはどうだった?今度は、僕たちが自分たちでフェスティバルをするから、その時は来てね!」と言ってくれたのです。私たちがいないこの1年の空白があったからこそ、現地の人たちに主体的に動く意志が感じられるようになったと思います。

  • -ウォールアートフェスティバルによって現地にあらわれた成果を教えてください。

入学者数の増加に加え、子どもの内面に変化
おおくにさん:
2つの地域とも、学校の入学者数が増えるという現象が起きたことです。
また、数値として示すことはできませんが、参加アーティストの熱量を身近で感じられたことで、子どもや村人たちの考え方に与える何かがあったのではと思います。例えば、インドの農村では将来の夢と言えば「先生」など一部の職業に限定されがちですが、アーティストという存在や生き方を知ることで、自分たちの選択肢を自由に考えるきっかけとなったと思います。

教室の壁に描かれたワルリ画と子どもたち(WAF2012)

浜尾さん:
教師からは、「低学年の女子児童が男性教師にも話しかけるようになった」「授業に活発に参加するようになった」「英語を前向きに学ぶようになった」といった変化が報告されています。
フェスティバルに向けて、アーティストは学校で作品を制作するのですが、あるアーティストは、子どもからプレゼントされた花や紙飛行機を取り入れながら制作していました。このように、アーティストとのコミュニケーションによって、自分の足跡が作品に現れたことは、子どもにとっても印象深かったのではないかと思います。また、他のあるアーティストの方は、子どもを巻き込んだ演劇活動を行ったのですが、「何者かを演じる」ということが、子どもが自分の殻を破るひとつのきっかけになったようでした。
当初から村人にうったえてきたとおり、フェスティバルを通して子どもの内面に変化をもたらすことができたのだと思います。

おおくにさん:
特に3年間連続して開催したブッダガヤでは、学校に通っていない子どもたちも含め、アーティストの制作の準備や片づけを積極的に手伝う様子が見られました。初めは周りで見ているだけだったり、やりたいことだけ手伝っていた子どもたちが、すすんで水を汲みに行ったり、制作物をとても丁寧に扱うようになりました。子どもたちが年々成長する様子が見られました。

浜尾さん:
自分たちが関わった作品を、地域の有力者の方やメディアの人たちまでが見に来て、脚光を浴びるという体験も、子どもたちにとっては初めてで貴重なことなんですね。

  • - ウォールアートフェスティバルには、日本からもたくさんの方がボランティアに訪れていますね。

毎回50人前後参加する日本人ボランティアがさらなる輪を広げる
おおくにさん:
日本からは、各回50人前後のボランティアが現地を訪れています。動機は「インドに行ってみたい」「旅行では体験できないことをしてみたい」「現地の子どもたちと交流したい」「参加するアーティストが好き」など様々です。
中には、ボランティアに参加した大学生が、帰国後に大学で報告会を自主開催し、その報告会をきっかけに興味を持ってくれた人が増え、翌年はその大学から新しいボランティアが集まったということもありました。さらに、その大学の教授の方が興味を持ってくださり、授業でも取り上げていただきました。このように、ボランティアで得た経験を、自ら周りに広めてくださっているのも、面白い広がりだと思っています。

  • - フェスティバル開催で苦労されたことはありましたか。

浜尾さん:
活動3年目ぐらいになると、「フェスティバルでお金を稼いでいるんじゃないか」と勘違いし、お金目的で接近してくる人が現れました。実際には、助成金をいただきながら、やっとの思いで開催にこぎつけているのですが、たくさんの日本人ボランティアやメディアなどが集まるため、スクールや現地ボランティアの人が報酬を得ているように見えていたようでした。実際にはお金が発生していないことを説得するのには苦労しました。

  • - 今後、どのように活動を展開したいとお考えですか。

2013年10月に日本で初のフェスティバル開催
おおくにさん:
今年の10月には、栃木県さくら市で、日本で初めてのウォールアートフェスティバル(「ウォールアートフェスティバルinさくら」*)を開催します。インドのガンジャード村からワルリ画家のラジェーシュ・チャイテャ・バンガード氏を招へいし、廃校となった小学校で壁画制作や子ども向けのアート・ワークショップを行う予定です。

日本の子どもがインドで生活体験する場をつくりたい
浜尾さん:
今回、さくら市との関係ができたことで、いずれは、さくら市の子どもをガンジャード村に招いて生活を体験してもらいたいと考えています。自然豊かなガンジャード村で地元の子どもたちと交流し、生活を体験することで、大地と共に暮らしている同世代の子どもがいることを体感し、友達になることができれば、日本の子どもが得るものは大きいのではないかと考えています。将来は、ガンジャード村と日本の子どもが協力して、自分たちで芸術祭を企画しようという動きが出てくると良いですね。

今後の展開−北部ラダックで遊牧民の子どもたちとのフェスティバル−
浜尾さん:
2014年2月には、2013年と同じガンジャード村でフェスティバルを行う予定ですが、その後さらに同じ場所で行うか、場所を変えて続けるかはまだ決めていません。 
現在、別のプロジェクトとして準備を進めているのは、インド北部のラダック地方(ジャンムー・カシミール州東部)で遊牧生活を送る子どもが通う寄宿舎学校での「アースアートプロジェクト」です。遊牧生活様式であるので、学校に通えない子どもが多くいます。寄宿舎学校ではそのような子どもを集めて教育の機会を提供していますが、その存在そのものがあまり知られていません。これまで開催してきた地域と違って僻地にあるため、大勢のボランティアを動員することは難しく、実施規模や形態は変わるだろうと思います。それでも、有志のボランティアとアーティストが現地を訪れ、アートや壁画を展開出来たらと考え、学校の先生と現在調整しています。この取り組みは、2014年8月の開催をめざしています。

おおくにさん:
これまでの活動を通じて知ったインドの手仕事(布、雑貨など)を紹介・販売するブランド「ツォモリリ」を立ち上げ、その収益をフェスティバルの運営費にあてようという取り組みも始めています。アートを通じた活動が徐々に拡大しています。

*「ウォールアートフェスティバルinさくら」は2013年10月26日・27日開催。インタビュー時は開催準備中でした。

  • - どうもありがとうございました。